診察室で、沈黙が続いていました。
何を聞かれても、うまく言葉が出てこない。目も合わせられない。そんなやりとりが何度か続いたあと、先生が急にこう言いました。
「心理テストを受けてみますか」
お願いします、と答えました。それが、自分に診断名がつく最初のきっかけでした。
この記事では、私が社交不安障害と診断されるまでに通った道のりを書きます。7つのクリニックを回りました。回り道だらけでしたが、その途中で分かったこともあります。
最初に行った病院は、お酒のことだった
アルコール依存症と言われたが、専門の薬は出なかった
そもそも最初に病院へ行ったのは、心の問題のためではありませんでした。お酒のことで悩んでいたからです。
そこでアルコール依存症だと言われました。ただ、その病院はアルコールの専門ではなかったため、それに適した薬は出ませんでした。結果として、ずいぶん苦労することになりました。
遠くても、専門の病院に行く価値はある
その後、私はアルコールの専門病院にも行きました。そこでは、きちんと専門的な薬を出してもらえました。
私自身は、最終的には数年かけて自分で酒をやめることができました。けれども、これは人によります。もし今お酒のことで苦しんでいるなら、どれだけ遠くても専門の病院に行く価値は大いにあると思います。近くの病院で「依存症ですね」と言われて終わるのと、専門の場所で扱ってもらうのとでは、まったく違います。
「心理テストを受けてみますか」と言われた日
沈黙の多い診察だった
お酒のことと並行して、私は生きていくことへの辛さも訴えていました。
診察では沈黙がよく続きました。先生は、私が一向に目を合わせようとしないことを疑問に思ったのだと思います。そこで心理テストの話が出たのです。
自分では気づいていませんでした。目を合わせていないことも、それが何かの手がかりになることも。
自閉症スペクトラムという、受け入れられない診断
結果、その病院では自閉症スペクトラムと診断されました。
当時の私は、発達障害というものにまったく知識がありませんでした。到底受け入れられない診断結果でした。
世間ではADHDのほうが華があって、よく取り上げられています。それに比べて自閉症は地味なイメージが強い。そんな印象も、受け入れがたさに拍車をかけていたのだと思います。
ところが、八年以上経った今は、とても納得しています。むしろ診断してくれて感謝しているほどです。
診断名がついて、何が変わったか
横断歩道で手足が揃い、レジに財布を置き忘れる
診断がつく前、私は自分のことをずいぶん責めていました。
横断歩道で手と足が揃って歩いてしまう。コンビニのレジで商品を置き忘れて出ていく。今度は財布を置き忘れて出ていく。
今にして思えば、脳のメモリがいっぱいいっぱいだったのです。けれども当時は、自分がだらしないからだと思っていました。
努力不足ではなかった、と分かった
診断がついてから、インターネットや書籍で自閉症スペクトラムやADHDについて詳しく勉強しました。自分の長所と短所を、自分で見つけられるようになりました。
そして、こう思えるようになったのです。これは障害の特性から来ているのであって、自分の努力不足で起きているわけではない。
それだけで、心がずいぶん軽くなりました。
もちろん、生きていくことへの辛さが障害によるものだとすれば、この先ずっと付き合っていくことになります。その苦しさはあります。それでも、原因が分からずに自分を責め続けるよりは、はるかにましでした。
社交不安障害の診断まで、7つのクリニックを回った
30枚の手書きの困りごとリスト
社交不安障害という診断がついたのは、そこからさらに先のことです。五つ以上の異なるクリニックを旅して、七つ目あたりでようやくたどり着きました。
私は、自分の人生と、今苦しんでいることを、手書きで三十枚ほどに書いていました。困りごとリストです。それを持って、クリニックを回っていました。
小さなクリニックでは、受け取ってもらえることすらありませんでした。読んでももらえない。そのたびにショックを受けていました。三十枚を書くのに、どれだけの時間と気力を使ったか、自分だけが知っているからです。
「コピーしていいかな」と言われた日
ところが七つ目のクリニックでは、先生がこう言いました。
「これ、コピーしていいかな」
すごく嬉しかったのを覚えています。中身を読んでもらえたこと以上に、記録として残そうとしてくれたことが嬉しかった。
そのうえで「ずいぶん悩んでいるようだね」と言われ、薬を出してもらいました。「一日一錠でいいよ」と言われて、私はメモを取ろうとしました。そうしたら、それくらいなら覚えていられるだろう、という反応をされて、少しショックを受けました。
覚えていられないから、メモを取ろうとしているのです。そこは伝わりませんでした。それでも、話を聞いてもらえた事実のほうが、私にとっては大きかったです。
今は通院していない。代わりにやっていること
清掃ボランティアとブログ
現在の私は、精神科のクリニックも心療内科も、すべてやめています。
これは私の選択であって、人に勧めるものではありません。通院が必要な人はたくさんいますし、やめたことで悪くなる人もいると思います。私の場合はそうだった、というだけの話です。
代わりに、自分にできることは何かないだろうかと考えました。清掃ボランティアに参加してみたこともあります。そして何より大きかったのが、ブログを始めたことでした。
視線が怖くても、ウォーキングは続けている
それと、どれだけ視線が辛くても、ウォーキングは欠かさず続けています。せめて慣れるように、という気持ちからです。
一番きついのは、信号で止まっている長い車列の横を、反対方向に歩いて進んでいくときです。運転席から顔を見られているのではないかと思って、まだ体が固まることがあります。
見つけたコツは、体を動かし続けること
そんな中で、ひとつコツを見つけました。
スマートフォンを触れば、意識はそちらに飛んでいきます。手をいじってみたり、首をマッサージしたり、下唇をとんがらせてみたり。何かしら体でアクションを起こし続けていると、集中力がそちらに持っていかれて、視線を感じにくくなるのです。
完全になくなるわけではありません。多少ではあります。それでも、固まって動けなくなるよりはずっといい。
最終的なゴールは、自然体でリラックスした状態で歩けるようになることです。まだそこには届いていません。けれども、今のところ良いコツを見つけた、とは言えます。
おわりに
七つのクリニックを回るまで、私は自分に何が起きているのか分かりませんでした。分からないまま、自分を責め続けていました。
診断名は、自分を縛るものだと思っていました。でも実際は逆でした。名前がついたことで、ようやく自分の輪郭が見えたのです。
もし今、どこに行っても理解されないと感じているなら、諦めずに次を探してみてほしいと思います。私の場合は、七つ目でした。
そして、書いて持っていくのは有効でした。三十枚は多すぎたかもしれません。それでも、話せない人間にとって、紙は味方になります。



コメント