毒親と絶縁せずに心を守る方法|生きづらさを手放し自分を生きる

毒親 絶縁せずに心を守る方法|生きづらさを手放し自分を生きる 子育て

「明日、役所に行って、お前の名前をこの家族から除外してくる」

中学生のとき、父にそう言われました。学校で問題ばかり起こしていた時期で、父の堪忍袋の緒が切れた日のことです。

長い間、この言葉を思い出すこともありませんでした。蓋をしていたのだと思います。思い出したのは偶然でした。YouTubeでアダルトチルドレンについての動画がたまたま流れてきて、見ているうちに、押し込めていたはずの記憶がふつふつと湧いてきたのです。

この記事では、親を許せないまま、それでも自分の人生を進めるにはどうすればいいのかを書きます。きれいごとは書きません。私自身がまだ抱えたままだからです。

親に言われた言葉は、何十年経っても消えない

もうひとつ、今も残っている言葉があります。

二十歳のころ、家の問題が全盛期だった時期です。就職活動をしていた私が東京に行くと言ったら、父はこう言いました。

「ダメだ。お前は私を継ぐ運命だ」

運命、という言葉を使われました。話し合いではなく、決定事項として渡されたのです。父を心底嫌っていた時期でしたから、腹の底が熱くなったのを覚えています。

言葉というのは不思議なもので、忘れたつもりでも消えません。どこか奥のほうに保管されていて、何かの拍子に、そのままの温度で戻ってきます。何十年経っていても関係ありません。

もし今あなたが、ずっと前に言われた一言を思い出して苦しくなっているなら、それは弱いからではありません。それだけの言葉だった、というだけのことです。

物理的に離れても、それだけでは終わらない

私は東京に行きました。物理的に離れることを選んだのです。

ところが、離れれば離れるほど苦しくなりました。家族が自分のせいで苦しんでいる。そういう思いが湧いてきて、涙が止まらなくなる夜がありました。当時は酒を飲んで紛らわせていましたが、あれは何の解決にもなっていません。翌朝には同じ場所に戻っているだけでした。

距離を取ることは必要です。けれども、距離を取れば終わる、というものではありません。体は離れても、頭の中にはそのまま住み続けているからです。

この段階で「まだ苦しいのは、自分の努力が足りないからだ」と考える人がいます。そうではありません。物理的な距離は、あくまで最初の一歩です。

許せない自分を責めなくていい

「育ててもらったのに、親を恨むなんていけないことですよね」

そう言って、許せない自分のほうを責めてしまう人がいます。世の中には親孝行を勧める言葉があふれているので、それを見るたびに、自分がおかしいのではないかと落ち込む。

けれども、許せないという感情は、それだけ深く傷ついたという証拠です。血がつながっているからといって、無条件に愛さなければならない義務はどこにもありません。

今は許せなくていいのです。まずはその感情を、自分自身が認めるところから始めてください。

私は徹底的に憎み尽くした。その先にあったもの

ここからは、あまり他で読まない話をします。

私は、中途半端に許そうとはしませんでした。むしろ逆です。心の中で、親を徹底的に責めました。攻撃しました。同時に、そんな自分のことも責め続けました。何年もかけて、やれるだけやったのです。

そして、その先に何があったか。

無意味だった、という世界がありました。

やっても無駄だった、と悟ったのです。どれだけ心の中で相手を裁いても、相手は変わりません。過去も変わりません。減るのは自分の時間だけでした。

これは、誰かに「憎むのはやめなさい」と言われて納得したのではありません。自分で最後までやり尽くして、自分でたどり着いた結論です。だから手放せました。

つまり、許すことが先ではなかったのです。憎み尽くすことが先で、許しは、その後に勝手に薄まっていった。順番が逆だったわけです。

傷は触るほど広がる。ただし一度は奥まで見る必要がある

物理的な傷は、触れば触るほど広がって悪化します。心も同じです。だから普段は、無理にいじらないほうがいい。

ただし、これには前提があります。

私は一度、徹底的にいじりました。傷の原因を、奥の奥まで見ました。だからこそ「もう触らない」と言えるところまで来たのです。

見ないまま蓋をするのと、見尽くしたうえで触らないと決めるのは、まったく違います。前者はいつまでも膿みます。後者は、そのまま置いておけます。

もしあなたが今、蓋をしている途中なら、一度は開けたほうがいいのかもしれません。ただし、それは苦しい作業です。一人で抱えきれないと感じたら、無理をしないでください。

時間という薬に委ねる

今の私はどうかというと、まだ抱えたままです。解決した、とは言えません。

ただ、変わったことがあります。

記憶がふつふつと湧いてくること自体は、自然なこととして受け入れられるようになりました。湧いてきても、執着せず、すぐに手放して流せます。追いかけなくなったのです。

長い時間が経ちました。そして、ふと偶然思い出したときに、何の怒りも感じていない領域が、いつのまにか広がっていました。自分で意識して広げたわけではありません。時間という薬に身を委ねているうちに、そうなっていたのです。

おわりに

親との関係は、きれいに清算できるものではないのだと思います。

許せないまま、モヤモヤを抱えたまま、それでも人は前に進めます。会いたいと思う日もあれば、二度と顔を見たくないと思う日もある。白黒をつけずに、両方を抱えたまま生きていく。それが自然な姿なのではないでしょうか。

あなたの人生は、あなたのものです。誰の許可もいりません。

なお、どうしても一人では抱えきれないと感じるときは、心療内科やカウンセリングなど、専門家に相談するという選択肢もあります。私自身、あのころ誰かに話せていたら、少し違ったのかもしれないと思うことがあります。

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