親に明るさを利用された人の表情が暗くなる理由|心の境界線の作り方

親に明るさを利用された人の表情が暗くなる理由|心の境界線の作り方 人間関係

鏡を見て、気づいたことがあります。

目の下にクマがある。まぶたの下がなんとなく垂れ下がっている。眉間やおでこの筋肉が弱っている感じがする。年齢のわりに法令線が早く出ていて、ほっぺたもたるんでいる。

よっぽど顔の筋肉を使っていないんだな、と思いました。そう気づいたとき、寂しさを覚えました。

この記事では、私がどうやって表情を使わなくなっていったのかを、順番に書きます。一般論ではなく、自分の話として書きます。

楽しそうにしていると、父が話しかけてきた

機嫌のいいときを狙われる

子どもの頃、テレビを見て笑っていたり、兄弟と楽しそうに話していたりすると、父が話しかけてきました。

おそらく父の中には、こういう計算があったのだと思います。相手の機嫌がいいのだから、言いにくいことを言っても受け入れられるだろう、と。

だから楽しい時間のまっ最中に、今すぐ勉強しなさい、部屋を片付けてきなさい、もう寝なさい、と言われました。お父さんが分からないことをしゃべるな、と言われたこともあります。

あからさまな嫌がらせではありませんでした。あれはしたのか、これはしたのか、という状況の確認が多かったです。ただ、その確認は尋問のような響きを持っていました。

暗くしていると、父は安心しているようだった

反対に、こちらが暗くしているときは、何も言われませんでした。

父自身も、会社のことや自分のことで生きづらさを感じ、悩んで苦しんでいた人でした。子どもが暗い顔をしていると、同じ思いでいてくれていると感じて安心するのか、父はむしろリラックスしているように見えました。

この二つを何年も浴びていれば、子どもは学びます。明るくしていると何かを取られる。暗くしていれば余計なことを求められない。

誰かに教わったわけではありません。繰り返しの中で、体が覚えた生き延び方でした。

小学生が、大人の聞き役をしていた

子どものように話す父と、聞き役の私

父が話すときは、私が聞き役に徹していました。

こちらはまだ小学生や中学生です。それなのに、立場としては逆でした。父のほうが小学生か中学生のように、武勇伝や仕事の話を延々と続けます。私はそれを聞いていました。

今になって思えば、あれは会話ではありませんでした。父が話したいことを話し、私が受け止める。その一方向の時間を、毎日のように過ごしていました。

母には、それが一家団欒に見えていた

やっかいだったのは、母の見え方です。

母はその光景を、順風満帆な一家団欒だと思って、ほほえましく眺めていました。父が楽しそうに話し、子どもが静かに聞いている。外から見れば、仲のいい家族です。

このすれ違いが、いちばんつらかったかもしれません。困っていることを困っていると伝える相手が、家の中にいませんでした。

明るさを失っていった順番

高校までは、いじられ役を自分から引き受けていた

意外に思われるかもしれませんが、高校生の頃までは面白おかしく振る舞っていました。

いじられることを自分から進んで引き受けていました。目立ちたかったからです。家では明るさを使えないぶん、外で使っていたのかもしれません。

ただ、それは本当の明るさというより、役割としての明るさでした。

大学で、誰とも友達を作らないと決めた

大学に入ったとき、私は決めました。誰とも友達を作らない、と。

中学と高校での人間関係が苦しすぎて、もう繰り返したくなかったからです。

実際、その決め事は守りました。昼ご飯は駐車場に停めた車の中で一人で食べていました。教室に行って、終わったらまっすぐ家に帰る。四年間、どこにも立ち寄りませんでした。誰かと一緒に遊びに行ったことは一度もありません。

その四年間で、表情を使う機会がほとんどなくなりました。

就職活動で、表情が止まった

決定的だったのは、就職活動でした。

そこで対人恐怖症に陥りました。人の前に出ることが怖くなり、そこから一気に、表情というものを使わなくなりました。

いわゆるポーカーフェイスです。何を考えているか分からない顔。それが自分の標準の顔になりました。

顔の筋肉は、使わなければ落ちる

ここまで来て、冒頭の鏡の話に戻ります。

クマも、たるみも、法令線も、単なる加齢だと思っていました。けれど順番に振り返ってみると、そうではありませんでした。表情を作る機会を、何年も失っていただけでした。

顔の筋肉は、使わなければ落ちます。体の他の部分と同じです。

そして、これは逆に言えば、使えば戻る可能性があるということでもあります。

愛想笑いでも、表情は戻りはじめる

清掃ボランティアに参加したとき、久しぶりに表情を取り戻しました。

正直に書くと、それは愛想笑いです。しかも、周りの人たちもきっと作った表情だったと思います。

それでも、顔を動かしたことに変わりはありません。ずっと止まっていたものが、少しだけ動きました。

心の底から笑ったという感覚は、まだ久しくありません。そこは正直に書いておきます。愛想笑いから本物の笑顔まで、距離はまだあります。

ただ、順番としては、たぶんこれで合っています。いきなり心から笑えるようになるのではなく、まず顔を動かす機会を増やす。その中に、いつか本物が混ざってくる。

おわりに

私が今、願っていることを書いておきます。

これから心がもっと良くなっていって、人と関われるようになって、本当の自分を出せるようになったとき。心と表情が一致する日が来てほしい、と思っています。

思っていることと顔が別々に動いている状態を、ずいぶん長くやってきました。それをそろえたい。目標はそれだけです。

もし今、鏡の中の自分の表情が暗いと感じているなら、それはあなたの本質ではないかもしれません。長い時間をかけて身につけた、自分を守るためのやり方だった可能性があります。

明るくしていると何かを取られる環境にいたなら、暗くしていることのほうが正しい判断でした。あなたに欠陥があったからではありません。

顔の筋肉は、使えば動きます。愛想笑いからでも構わないと、私は思っています。

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