私の小さな好きは、ペンのインクを減らすことです。
毎日たくさんの文章を書きます。日記もそうです。そして1日の終わりに、インクがどれだけ減ったかを確認します。減った位置に線を引いて、昨日との差を見ます。
人に話しても、たいてい伝わりません。それで何になるのか、と言われれば、何にもなりません。
この記事では、その何にもならない好きが、結局いまの自分を作っているという話を書きます。
減った分に、線を引いて確かめる
毎日の差を見る
ペンの軸の、インクが残っているところと空になったところの境目に、線を入れます。
次の日にまた線を入れると、1日でどれだけ書いたかが目に見えます。それを確認するのが好きです。数字にするわけでも、誰かに見せるわけでもありません。ただ見ています。
書いた量ではなく、減った量を見ている、というのが自分でも面白いところです。
ゆっくり書くと、頭の速度が落ちる
もう一つ、書くこと自体に効果があります。
私はあえてゆっくり書きます。速く書こうと思えば書けますが、そうしません。
頭の中でぐるぐる回っている考えは、放っておくとどんどん速くなります。そこに手書きという遅い作業を挟むと、その速度が落ちます。手が追いつく速さまで、考えのほうが待ってくれるのです。
落ち着くから書いている、というより、書いている動作そのものが速度を下げてくれている感覚です。
集めないと気が済まなかった
家中のペンを、インクの少ない順に
やり方は徹底していました。
家中のペンを集めてきて、インクの残りが少ない順に並べます。そして少ないものから使っていきます。
中身が見えないマジックは、それができません。だからグラム数を量って、軽いほうから使っていました。
家族には理解されませんでした
家族からは、そんなに一気に使うわけじゃないんだから、少しずつ持っていけばいいじゃないか、と言われました。
もっともです。けれど私は、集めなければ気が済まない人間でした。
全部を手元に並べて、順番が決まっている状態でないと落ち着きません。理屈で言えば無駄な作業です。それでも、そうしないといけませんでした。
子どもの頃は、反省文でした
みんなが悩む中で、すらすら書けた
文章を書くことは、子どもの頃からありました。
意外に思われるかもしれませんが、私はわんぱくな子どもで、反省文をよく書かされていました。
そして気づいたことがあります。周りの子はどう書けばいいか悩んで止まっているのに、私はすらすらと、何枚でも書けてしまうのです。
反省しているかどうかは別として、書くこと自体には一切困りませんでした。
地味でダサいと思っていました
ただ、若い頃はそれを価値だとは思っていませんでした。
一人で黙って文章を書くなんて、地味でダサい。そう思っていました。目立つのは別のことをしている人たちでした。
今は違うように見えています。
頭の中に無限に広がっているものを、紙という限られた面に出していく。これはかなりクリエイティブな行為です。少なくとも、誰にでもできることではありませんでした。
そしてこの感覚が、結局いまのブログにつながっています。くよくよと悩んでしまうところは、自分の欠点だと思っていました。けれどその悩んだ中身が、そのまま書くものになっています。欠点だと思っていたものが、そのまま材料になりました。
同じ感覚は、別の場所でも出ていました
ペンや文章だけの話ではありませんでした。
父が設計の会社をやっていて、その手伝いで現場に行っていた時期があります。私がやっていたのは掃除でした。
ただ、職人さんの手伝いをするとき、自分でも不思議なことが起きました。言われる前に道具を差し出していたり、この作業はこうしたほうがいい、と仕組みそのものを変えたくなったりするのです。
教わったわけではありません。自然とそうなっていました。
私には自閉症スペクトラムとADHDの傾向があります。当時はそんなことは知りませんでしたが、今振り返ると、細かい違いに反応してしまう性質が、あの場面でも出ていたのだと思います。
ペンのインクの残りに気づくことと、現場の段取りの無駄に気づくことは、たぶん同じ働きです。
「同じ内容ばっかり」と言われて
それで何になるのか、と直接言われた記憶はあまりありません。
代わりに覚えているのは、YouTubeのコメントです。同じ内容ばっかりじゃないか、という趣旨の言葉を、かなり強い言い方で投げられたことがあります。
正直に言うと、私からすると全然違います。ちゃんと見てもらえれば、中身は別のことを話しています。ニュアンスが違う、と言いたくなりました。
ただ、その人にとっては同じに見えたのでしょう。それは事実です。
そのとき思ったのは、自分は逆でありたい、ということでした。小さな違いに気づける側の人間でいたい。同じに見えるものの中から、違いを見つけられる側でいたい。
ペンの減り方の差を毎日見ているような人間なので、たぶんそちら側には向いています。
好きが、自分を苦しめたとき
段ボールに書いていた頃
ここからは、あまりきれいな話ではありません。
好きだったものが、嫌いになった時期があります。それも同じ、ペンのインクの消費です。
強迫観念のようなものが強くなっていました。書かなければ気が済まない、減らさなければ気が済まない。そういう状態です。
紙を使い切ることに没頭しすぎて、最終的にはスーパーマーケットから段ボールをもらってきていました。それをカッターで切り開いて、裏側のきれいな面にマジックで書きまくっていました。
あの頃は、辛かったです。好きでやっているのか、やらされているのか、自分でも分からなくなっていました。
やめずに、速度を落としました
結果として、私はやめませんでした。一切やめませんでした。
代わりにやったのは、速度を落とすことです。
そして、あえて2,000円以上する気に入ったシャープペンシルを1本だけ買いました。それを徹底的に使いこなす、という方向に切り替えたのです。
集めて、減らして、量で満たすやり方から、1本を長く使い込むやり方へ。向きを変えました。
そうしたら、満足感が戻ってきました。
好きは、形を変えれば続けられます
ここが、いま一番お伝えしたいところです。
好きなことが自分を苦しめ始めたとき、多くの人はやめようとします。私も一度はそう考えました。
けれど、やめる必要はありませんでした。必要だったのは、やり方を変えることだけでした。
量で満たそうとしていたものを、質で満たすように変える。速さで満たしていたものを、丁寧さで満たすように変える。対象は同じままです。
好きなものを手放すと、その分の穴が空きます。そして別のもので埋めようとして、また同じことを繰り返します。だったら、対象は持ったまま、扱い方だけを変えたほうが早いのです。
おわりに
ペンのインクが減るのを見るのが好きです。今もそうです。
これで何かになったかと聞かれれば、正直よく分かりません。ただ、毎日書き続けてきたことが、今こうして文章になっています。
あなたにも、人に言っても伝わらない小さな好きがあると思います。それで何になるの、と言われそうで、自分でも軽く扱っているものです。
何にもならなくていいと思います。ただ、捨てないでほしいです。苦しくなったら、やめるのではなく、扱い方を変えてみてください。
私の場合は、それがシャープペンシル1本でした。


コメント