自分を好きになってから、次に進もう。そう考えていると、いつまでも順番が来ません。
私は、演技から始めました。
自分のことが嫌いなままで構いません。自分を大事にしている人が、たぶんこうするだろう、という動きを先に真似します。気持ちは後からついてきます。
この記事では、実際に私がやっている真似を書きます。どれも地味なことばかりです。
石けん1つで、全部洗います
3つに分けるのが耐えられません
シャンプー、洗顔、ボディソープ。これを使い分けるのが、私にはどうしても無理でした。
手順が3つに増えるだけで、急に面倒になります。私は自閉症スペクトラムと診断されているのですが、こういうところに出るのだと思います。
だから石けんを1つだけ使います。頭から足の指先まで、それ1つです。
そして良い石けんを選んで、最後まで使い切ります。これは、安いペンをたくさん集めるのをやめて、気に入った1本を使い込むようにしたのと同じ考え方です。
風呂が嫌いで、ベランダで頭だけ洗う日もあります
正直に書きます。私は風呂が嫌いです。
だから、夏でも冬でも、2階のベランダに石けんを吊るしておいて、そこで頭だけ洗う日があります。体はタオルで拭いて終わりです。
きれいな話ではありません。それでも、まったく洗わないよりはずっといいです。
入れない日に自分を責めるより、入れない日用のやり方を持っておくほうが、結果として清潔でいられます。
髪は坊主にしました
髪型にこだわるのもやめました。坊主にすると、洗うのが一瞬で終わります。
おしゃれをあきらめた、という言い方もできます。ただ、私にとっては手間を1つ減らしたということのほうが大きいです。
こうあるべきという形を持っていると、それを保つために毎日消耗します。手放したほうが楽になることは、かなりあります。
朝、ベッドの上で全部伸ばします
コマーシャルの真似から始めました
朝の伸びは、もともとコマーシャルの真似です。
大きく伸びをして、よく寝た、と気持ちよさそうに起きる場面がありますね。あれをやってみました。窓を開けて太陽を見るときに、一緒にやっていました。
体をほぐすと、気持ちも軽くなります
今はもう少し長くなりました。
起き上がったら、ベッドの上に座ったまま、伸ばせる場所を全部伸ばします。腰をひねる。曲げる。背中を丸める。腕を上げる。首を回す。
眠って体力は戻っているのに、筋肉は固まったままです。そこをほぐすと、体が軽くなります。そして体が軽くなると、気持ちのほうも少し軽くなります。
順番が逆なのだと思います。気持ちを軽くしてから動くのではなく、体を軽くすると気持ちがついてきます。
食事も、真似から入りました
おいしそうに食べている場面を思い出します
食事のときにもやっていることがあります。
平成の頃によく流れていた、お茶漬けのコマーシャルがあります。電話をしながら、実においしそうに食べている場面です。あれを思い浮かべて真似します。
一人で食事をするドラマも真似しました。ああいう食べ方です。
一つずつ、心の中でつぶやきます
やっているのは、素材を一つずつ、心の中で言葉にしながら味わうことです。
これは一種のマインドフルネスに近いと思っています。今食べているものに意識を向けるだけで、頭の中で回っている別のことが少し止まります。
おいしく食べようとしているというより、食べているあいだだけ、自分の話から離れているという感じです。
話を聞くときにやっていること
事実の確認は、仕事だけでいい
人と話すときに意識していることがあります。
事実を確認するようなやりとりは、仕事のときだけで十分です。
普段の会話で人が求めているのは、自分の話を聞いてもらうことです。極端に言えば、人は自分のことにしか興味がありません。
だから、待ち時間が3時間なのか確認するより、待つほど乗りたくなりますよね、と返すほうが会話は続きます。
自我を、一度どけます
このときに私がやっているのは、自分と相手を分けている線を、一度どけることです。
仏教の考え方に近いかもしれません。自分というものを一度消して、相手の立場に立って、そこから心から共感する。そういう練習をしています。
最初はできませんでした。今はできるようになりました。
左手を使うようになりました
効いたと思っているものが、もう一つあります。
左手を使う練習です。利き手ではないほうを使うと、普段あまり使っていない側の脳を使うことになります。
これがどう作用しているのか、正確なところは分かりません。ただ、始めてから変わったことははっきりしています。
人の話を聞くことが、苦痛でなくなりました。前は、聞いている時間そのものがしんどかったのです。
そして、聞き上手だと言われるようになりました。自分でも驚いています。
演技から始めていい理由
ここまで書いたことは、全部真似です。
コマーシャルの真似。ドラマの真似。自分を大事にしている人が、たぶんこうするだろうという動きの真似。
気持ちが伴っていないのに形だけやるのは、嘘のようで落ち着かないかもしれません。私も最初はそうでした。
ただ、心のほうが体の習慣に合わせてくる、という性質があります。伸びをして、ちゃんと洗って、味わって食べて、人の話を聞く。この形を続けていると、自分を粗末に扱っていない人の生活になっていきます。
そのうち、気持ちのほうが追いついてきます。
おわりに
自分を愛せるようになってから他人と関わろう、という順番は、待っていても来ません。私は待ちませんでした。
恋愛についても同じだと思っています。相手に好きになってもらうことだけを土台にすると、その土台は相手の気分で揺れます。自分の側に何か置いておく必要があります。
置くものは、大げさなものでなくて構いません。石けん1つでも、朝の伸びでも十分です。
今日も坊主頭を石けんで洗って、ベッドの上で首を回しました。それだけの話です。


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