後回し癖をやめない生き方|5年寝かせて正解だったことと、7年を失ったこと

後回し癖をやめない生き方|退屈な毎日から抜け出す思考法 生き方

後回しは悪いこと、とされています。

私の場合、両方ありました。後回しにして正解だったことと、ただ失っただけのことです。

Pythonというプログラムの言語は、5年寝かせて正解でした。ブログは、7年後回しにして、あれは失った時間でした。

同じ後回しなのに、結果が逆になっています。この記事では、その違いを書きます。

私の逃げ先は、運動と、慣れた作業です

頭がパンクしそうなときは、体を動かします

やるべきことを前にすると、私はまず軽く体を動かします。

これは悪いことばかりではありません。頭の中で悶々と考えていると、そのうちパンクしそうになります。だから一度動かして、頭を冷やします。

もう十分やってあるのに、もっとやろうとします

問題はこちらです。

私には、長く苦労して組み立てて、ようやく慣れてきた作業の手順があります。ブログ関連の一連の流れです。

本当にやるべきことが別にあるとき、私はそちらへ逃げます。

たとえば、すでに10本ぶんの予約が入っているのに、もっと入れておこうと考えます。12本にします。もう足りているのにです。

これは一見、働いているように見えます。手も動いています。成果も出ます。

けれど中身は逃避です。できることをやって、できないことから離れているだけです。

何もしないで逃げるより、こちらのほうが気づきにくいです。自分でも働いていると思えてしまうからです。

後回しにして、良かったこと

Pythonは、5年寝かせました

やったほうがいいと気づいたのは5年以上前です。難しそうで手が出ず、本を買っても途中で挫折しました。

途中から、一気に勉強するのをやめました。ゲームのような感覚で触れるアプリを入れてみたり、しばらく放っておいたりしました。

そしてAIが出てきて、ようやく動き出しました。

あのとき無理に続けていたら、たぶん嫌いになって終わっていました。

ダイエットは、血圧で強制的に始まりました

体重のことも、ずっと後回しにしていました。

結果として太り、血圧が高くなりました。心臓内科に行って、血圧を下げる薬をもらい、心臓の検査も受けました。

そこで初めて、健康の大切さが本当に分かりました。

病気は悪いものだけではない、というのが今の私の考えです。病気をして初めて分かる場所があります。健康のありがたさもそうですし、何のために生きているのかという話もそうです。

病気をしてからトライアスロンを始める人がいます。あれは大げさな話ではなく、切り替わるきっかけとしては自然なことだと思っています。

母に本音を言うのは、何十年も先延ばしにしました

これが一番長い後回しでした。

母に対して思っていたこと、現実として伝えるべきこと。それを何十年も言えずにいました。

代わりにやっていたのは、優しく接することです。優しく、優しく、当たらないように。

けれど、ごまかされました。逃げられました。そして現状維持に走られました。

そのたびにイライラが溜まり、酒が増えていきました。

結局、酒の力を借りてかなりきついことを言い、喧嘩になりました。30歳を超えて、生まれて初めてです。

先に書いておきます。酒を使って言うのは良い方法ではありません。私もそれを勧める気はありません。ただ、そうでもしないと口が開かなかった、というのが事実です。

そこから家の中が変わりました。料理も家事も全部区分けされて、自分のことは自分でやるようになりました。自立の力がつきました。

仲は悪くなりました。ただ、それまでべったりと癒着していた感情が、強烈に引き剥がされました。

孤独は感じます。それでも、本来これが正しい線の引き方で、これが自立なのだと今は思っています。

この件は、後回しにしていた期間そのものに意味があったとは思いません。ただ、言えるようになったのがあの時期だったのも事実です。

ブログが遅れたことの、別の意味

早く始めていたら、続かなかったかもしれません

ブログについては、あの7年は怖がっていただけの時間だったと思っています。もったいなかったです。

ただ、最近になって別の見方もするようになりました。

早い段階ですんなり始められていたら、ここまで続いていなかったかもしれません。

何でも早くから順調に手を出せる人は、切羽詰まる経験が少ないです。危機感を味わう機会も少ないです。

焦って動いて、そこに全部を注ぐ。あの感覚を知っているかどうかは、後から効いてきます。予想のつかない事態にぶつかったときに、差が出ます。

待っているあいだに、日記が5年分たまっていました

もう1つあります。

始められないあいだも、必ずいつかやると思っていました。そして日記だけは書き続けていました。

気がつくと、5年分以上たまっていました。

それが今、書くための材料になっています。始めるのが遅れたぶん、書くものが増えていたことになります。

あの7年を肯定するつもりはありません。ただ、まったくの空白ではありませんでした。

やらないと決めていること

休憩に、短い動画を見ない

休憩時間に娯楽として短い動画を見ることは、意識してやめています。

あれは休憩になりません。むしろ脳が疲れます。休んだつもりで、消耗しています。

あったら便利、は買わない

買い物の基準は1つです。なくては困るもの以外は買いません。

あったら便利、というものは買いません。物が増えると、判断することが増えて、そのぶん頭の力を取られるからです。

やりたくない仕事はしない

これは賛否が分かれると思います。それでも書いておきます。

私は、やりたくない仕事はしないと決めています。やりたい仕事、あるいは自分の力に見合った仕事だけを選びます。

もちろん、選んだ仕事に付いてくる面倒なことはやります。そこは逃げません。

ただ、なぜこんなことをしているのだろう、という気持ちのまま一生を過ごすくらいなら、貧しいほうがましだと思っています。

そのぶん、力を磨いて、苦しいところからよじ登って出ていく。私はそちらを選びました。

人に勧められる生き方ではありません。私はそう決めた、というだけの話です。

後回しにしていい後回しと、そうでない後回し

ここまで書いてきて、違いがはっきりしてきました。

Pythonは、当時の自分には本当に無理でした。道具がそろっていませんでした。条件が来ていなかったのです。だから寝かせて正解でした。

ブログは違いました。やろうと思えばできました。時間もありました。止めていたのは、自分の恐怖だけです。

条件がそろっていないのか、それとも怖いだけなのか。ここを自分に聞くと、だいたい分かります。

怖いだけなら、今日始めたほうがいいです。条件が来ていないなら、寝かせておいて構いません。ただし、必ずやるという前提だけは持ち続けてください。私が日記を書き続けていたのが、それにあたります。

おわりに

後回しには、もう1つ良い面があります。

歩いているときに、これは本当にやらなければならないことだったのだろうか、という疑いが出てくることがあります。

すぐに手をつけていたら、その疑問は出てきません。作業に入ってしまうと、考える隙がなくなるからです。

後回しは、選び直すための時間でもあります。

全部を今日やらなくて大丈夫です。ただ、それが怖いからなのかどうかだけは、自分に聞いておいたほうがいいと思います。

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